2007年4月27日金曜日

自転車にハマっていた。
小学校5年から中学校2年頃まで。
細かく言えばマウンテンバイクにハマっていた。
大人の方々にくっついていって富士山を下ったりしたこともある。
もう15年程も前の話。
当時のマウンテンバイクは今とは全く違っていた。
華奢だったし、サスペンションなんていう凝ったものは無かった。
いや、正確に言えばちょうど世の中に出回り始めた頃だったかしら、
サスペンションというものが。
バネのない自転車で富士山の5合目から
林道の路面に弾き返されながら下った。




これはワタクシの父が乗っていたもの。
購入したのは1989年頃だったと思う。
当時最先端のアルミフレーム!というのは言い過ぎだが、
あの頃の自転車のフレームはまだまだアルミよりは
クロモリ(鉄のことね)の方が多かった。

で、これを父から譲り受け(奪い取って?)乗っていた。
6年ぐらい前までは乗っていたが、その後我が家の玄関前に放置。
風の強い雨の日は雨ざらし。
タイヤもサドルも腐り、見るも無惨な姿を晒していたが
こいつを復活させることにした。

ボロくて使い物にならなくなった部品は全部外して
新たにこの細身のフレームに合う部品を探してきて取り付ける。
のんびりと好みの姿に仕上げていくつもりだ。

上手くいくか

2007年4月19日木曜日

数日前、某S通りを走っていた。
下りのこちらはスムーズに流れていたが
対向車線は渋滞していた。

そしたら圧倒的な光景が目に飛び込んで来て
瞼に焼き付けたのを絵にしてみた。
この場合の圧倒的というのはあくまで俺自身にとってであって
皆さんがどう思うか、というのは、わからん。





モーガンです。往年の名車。
今でも新車で買える往年の名車です。
それが某S通りの渋滞にひょっこりと紛れていました。
2シーターのやつ。
その2つのシートの後ろの僅かなスペースに巨大な犬が
鎮座ましましていたのです。
それもデッカいブラッドハウンド。
そいつが立ち上がって辺りを見回しております。

モーガンがユサユサ揺れております。


参った!
参ったよ。

2007年4月17日火曜日


今更ながら亮介街道の話をします。

激走亮介街道というイベントは下北沢にあるライヴハウス
「ガレージ」の13周年記念イベントでした。

沢山の方々の力を借りて
内容の濃ーいイベントにすることができました。

もちろん足を運んでくれたみんなも、
「見に行けないけど頑張ってください」
とウェブサイトにコメントをくれたみんなも
(ちゃんとチェックしてます)、
本当にみんなみんなのお陰です。有り難うございました。



協力してくれた方々の中に松原優子さんという方がいます。
彼女は激走亮介街道のフライヤーのデザインをしてくれました。

そう、俺が赤いギターを抱えてくねってるやつ、あれです。

いやー俺は驚いたね、初めて見たときに。
だってそっくりでしょう。
眼鏡以外に細かいディテールは何も描いてないのに何故か似ている。
すぐに俺だって判る。


彼女はいまロンドンに住んでいるんです。
フライヤーのデザインのお願いなんていう重大な事だから
失礼かとは思いながらもメールでお願いしてみたら快諾してくれた。
そして数日後には沢山のアイデアを画像にして送ってくれました。
それらがみんな面白素晴らしくて勿体ないので
Oto-Gazo-Eizoのページに載せました。

Yo check しな。

センスのある人は面白いね〜、全く。

2007年4月15日日曜日


タイヤを交換したい。
ホワイトリボンタイヤにしたい。
ホワイトリボンといえばやっぱり往年のアメ車のイメージでしょ?
俺の愛車はアメ車でも古いクルマでもないが、
なんだかこういうほのぼのとした雰囲気のタイヤが似合う気がする。



格好良いミスマッチは素敵だ。
白洲次郎さんという方をご存知だろうか。

晩年の彼が、最後の愛車、
BF Goodrichのホワイトレター入りのタイヤを履いた911Sに
寄り添っている写真が残っている。

ポルシェにBF Goodrichのホワイトレター・・・・・。
どんな経緯でこのチョイスに至ったのかは知る由もないが
今の自分の価値観で考えると
意外な組み合わせだと言わざるを得ない。
意図的だったのかどうか、
他に良いタイヤが見つからなかったからなのか、
まあどちらにしても俺にとってみれば格好良いミスマッチだ。



何言ってるか解んないでしょう?
いいんです別に、解る人にだけ解ってもらえれば。

2007年4月8日日曜日


この間野球を観に行った。

良いですね。